瑞光山禅林寺は、三重県の北勢地方にある四日市市と菰野町の境にあたる下村地区の中にあるお寺です。                                           歴史は口伝として、開山時は天台宗、大強原山廬遮那寺(おおごはらざんるしゃなじ)として本尊大日如来(菰野町文化財指定)を祀り、七堂伽藍を擁していたといわれます。しかし応仁の乱の頃に焼失しました。この時、僧侶が本尊様を背負って亀山へ逃げたといわれています。         その後、この地方を治めた後醍醐天皇の家臣、千種忠顕公の孫の千種治庸が祖父のために本尊様を再度安置して寺院を再建したといわれます。この本尊様の裏側には1555年に修理を施したことが明記されております。やがて、北勢地方に織田信長が侵攻してきた折、近隣の城と共に再度、寺は焼失しました。                                        そして江戸時代初期の1649年に焼失していた寺を新たに臨済宗寺院として付近住民により建立され今日に至っております。現在の本堂は平成20年に新築本堂として建て替えられました。